とうふ、おいしいね。

世間の荒波でサーフィンできるようになりたい。

自分の命を差し置いてまで大事な用事ってあるのかな(完)

 前の↓

sakutan3.hatenablog.com

 

夫からのLINEが浮いたり沈んだり
時に殺意をほのめかしたり時にこれまでの歴史を振り返ったり

自宅に居ても気が休まらず、むき出しの殺意にあてられてすっかり病みモードになってしまった私は会社の事務所を借りたり、宿を取ったりしながら逃げ続けた。
もちろん子供も一緒だ。
夫は職場は知ってるので押しかけて来たらどうしよう(義父母が連れてくる)とため息ついたり泣いたり情緒不安定になっていた。
そんな中で夫からの一言でついに決心してしまう。

「これまで色々やってきたけど、病気は改善しなかった。心の問題が大きいのなら、全てが自分の負担になっているあなたを排除すること。まだ一度もやってない事」


もう、ここには居られないんだな。
もうすぐ給料日だし、ちょうどいいから全部引っ越し費用にあててやれ。
実家の母は荷物なんて放っておいてすぐに帰れと言ってくれた。友人たちも法律関係や諸手続きでアドバイスをもらった。お世話になった方々にもそれとなく伝えた。

子供は逃亡中ずっと情緒不安定になる私を支えてくれた。
本当にダメな親すぎてもう。

引っ越しの見積もりをこっそりとる。
諸手続きをそこはかとなく済ませる。
警察には事情を説明して引越し当日見守ってくれることになった。
多方面に迷惑をかけまくった。
立つ鳥跡を濁しまくり。

引越し当日は何事もなく私だけがそわそわ落ち着かず業者さんが手伝ってくれた。
すっかり片付いていく様子をみて、もう自分を追い詰めるのはやめようと思った。
これまで、結婚してから自分の荷物を捨てまくっていた。
だから、最終的に残った自分の荷物はほんのわずか。
捨てまくっていたのは夫の荷物が多すぎるから。
夫からはもっと荷物減らしてくれないと自分の荷物が増やせないと言われて棄てられたこともあった。
それでも、まあいいやと思っていた。
子供が生まれてからは子供中心になるため子供のスペース確保のために荷物を捨てまくった。捨てられるくらいなんだから最初から要らなかったんだと思う事にした。
寂しい気持ちだけはこうやって残るんだよね。

離婚届は記入済みのものを義父母に渡した。
慰謝料も遺産も何もいらない。
義父母が亡くなった後の相続も何もいらない。
養育費もいらない。
なにもいらないから、どうか許してください。と土下座した。


引っ越しが無事に終わり、周りの方々に挨拶を済ませ、実家へと帰ってきた。

普通に健康な人との別れならそれでいいと思うけど、そうはいかなかった。
お金の問題。
夫の病気は治療費がものすごいかかるので、私が加入した保険の扶養に入っていたため治療費は安くすんでいた。だが新たに保険に入りなおす間は全額負担になるため義実家とは当然揉めた。

夫からは許してやるから戻ってこいと言われた。
何を言うにも勝手に別れる事は許さないとか、見殺しにするのかとか、家族の在り方についてとくとくと説くメッセージが届いた。子供だけはこっちによこせとか神様論とかまあいろいろ。
思いつく限りの私への罵倒。例えばデブスなのに結婚してやったとか、臭いおばさんとか、子供の喧嘩のような内容。
相手が一番深く傷つく言葉を選んで言ってしまう。だから電話や直接対話しよう。と言われたけどまあ後の祭りと言いますか。電話や対話だったら言いくるめることが出来ると思っているのか。
その姿勢だけでも、かつての優しかった夫を思い出しては悲しく辛かった。

私はずっと貝になっていた。
何も答えず、じっとしていた。
夫から「もうお前の愛とかうんざりなんだよ」と言われたので
「勘違いをさせてしまったのならすみませんが、こちらの愛情は既に枯渇しております。戻る気もこれ以上の愛情を捻出する気も一切ありません」
と一言だけ送った。
ずっと、何を言ったら諦めてくれるだろうか、私の気持ちを理解してくれるだろうか、許す許さないの問題ではないという事を理解してくれるだろうか、考えた末の言葉だった。慎重に選んだつもりだった。

やっと、
「そうなんだ、ごめんなさい。勘違いしていた。」
と送られてきた。
そこから色々ありましたが、離婚届が提出され受理された。
私たちの結婚生活は後を濁す形で終焉した。
逃亡してから一か月のことだった。
結婚してからこれまでは決して短くない年数。
色んな歴史があったけれど、これで終わったんだ・・・

なーんて感慨にふけっている場合じゃなくてそこからの諸手続きがくっそ大変でした。まだ渦中ですけどね!


多分このままずっと亡くなるまで寄り添っていても、私が夫を殺すか夫が私を殺すかしていたと思うし、私は精神的におかしくなってもう元に戻れなくなってしまいそうな不安を抱えていたのでしょうがなかった、と今では思う。

ちなみに夫は今もまだ病床に臥せっていて、危うい状態を繰り返しています。
私はその後義実家とも夫とも連絡を少しずつ取りあい状況を聞いて、お互いに良い状態を築いていき、せめて子供だけでも会わせてあげたいと格闘している最中です。
仕事はまあまあ順調。
子供もこれから学校にお金がかかるので使える行政サービスをフルに使って生活の立て直しをしています。これから先、どうなっていくのかまだ分かりませんがとにかく風の吹くまま、自分の心の赴くままに関係者の方々すべての幸せを祈って。
(クサイなー)


自分の命を差し置いてまで大事な用事ってあるのかなシリーズ(完)