とうふ、おいしいね。

世間の荒波でサーフィンできるようになりたい。

自分の命を差し置いてまで大事な用事ってあるのかな(3)

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sakutan3.hatenablog.com

こんなこともできるのか。はてなぶろぐすごい。

越してきてまもなくの頃。

引っ越し後の手続きやら子供の保育園やらで毎日てんやわんやしていた。
やっとまた3人揃って暮らせる。そう思っていた。
一週間くらい経った頃だったろうか、夫が検査で病院へ行く日だった。
朝からなんとなく顔色が悪いなと思っていたら、

まさかの失踪。

義実家に残っている人と私とで近辺の捜索をするも手掛かりがつかめず。
慣れない場所で土地勘もないのであてずっぽうで探すも見つからない。

もしかしたら、自殺でもしてるんじゃないかと思い、探し始めてから4時間くらい経った頃、警察に駆け込んだ。
時期は初夏、夫は財布も携帯も所持していなかった。
調書を取ってもらっている間に電話がかかってきた。
やっとみつかったと。

警察内でそのまま力が抜けてわんわん泣いた。
自殺じゃなかった、良かった。でもなぜ失踪。

やっと本人と話ができた。
義実家に戻りベッドに横になっていた。

検査に行くのが嫌になった、治らないし自暴自棄になった。
自分の足でどこまで行けるか知りたくなった。
このまま消えてしまおうかと思ったけどできなかった。
と。

警察にも行って捜索願出すところだったんだよと話すと、
「ふーん、あっそう」
と。

なんだろう、何か違和感。
「もう疲れてるから、休ませて」

私も探して大変だったんだぞっていうのが恩着せがましく聞こえたのかしら。
それなら申し訳なかったと思うし空気読めなかったかも。
その場はとりあえず納めて子供を連れてマンションへ戻った。

引っ越し後の荷物を解く暇もあまりないままそんな感じで一日が過ぎていった。
なんだか妙に慌ただしかったように思う。
それから、ちょっとした事で諍いが増えていった。
キメ台詞は「俺もう少しで死んじゃうかもしれないんだから、いう事を聞いて!」だった。それを言われては仕方がないと思い、色々と言いたい事も飲み込んできた。

ある日、また意見の食い違いで言争いが始まった。
もうこれが始まってしまうと「ハイ」と言うしかなかった。
この時点で私も奴隷乙なんでしょうけど。
その日ははっきりと違和感が分かった。

「もう俺むこう(実家)で暮すから。勝手にしなよ」という。
続けて、
「離婚してほしくなかったら、ごめんなさい私が悪かったって言いな」
子供の目の前で。
子供はずっと目が泳いでた。
かろうじて、もうやめてよ…と言うも
「これはね、ママが悪いんだよ。だから、仕方ないんだよ」
という。

これ以上続けても子供が可哀想だし誰も喜ばない。
「ごめんなさい」
と私は言った。

「そうそう、それでいいんだよ。離婚してほしくないんだね。わかったよ」

ああ、モラハラされてるんだ、私。

 

その日から更に奴隷乙の日々が続きます。